シュレディンガーのマイケルから読み解く幽霊の存在

初めましての方は初めまして、前回の記事を読んでくださった方も初めまして、三四がトゥエルブです。2度目はないと言ったな、あれは嘘だ。

 

今回の話題は夏に相応しいお化け、幽霊、妖怪は居るのかなってお話しです。ウォッチッチ。とは言っても本当は無かった怖い話とかでは無いのでゆったりした気分で読んで頂ければ。

 

 

さて、皆さんは幽霊いると思いますかな?人によっては見たことがあるから絶対にいる、ファンタジーが好きだから居てほしい、怖いから居て欲しくない、非科学的なものは信じないなど様々な意見があるでしょう。それに対する僕の返答は

 

 

わかる(少々のエコー)

 

 

その一言に尽きますね。僕の全語彙力を使い果たした大変分かりやすい簡潔な回答です。褒めてもいいのよ?

しかしこれでは話が進まない。今回は幽霊がいるかいないかのお話しですからね。賛否両論全てを受け入れる寛大なる器は一旦捨て置いて考えましょう。

 

12秒ほど考えた結果、よく分からない漠然とした存在である幽霊って言うから分かりにくいのではないか。ならば他のイメージしやすいものに置き換えるべきです。他のものに置き換えるのは色々なところで使えるテクニックですね。

 

ここで登場するのがアメリカ合衆国オハイオ州出身のマイケル(36)独身です。

皆さんはこのアメリカ合衆国オハイオ州出身のマイケル(36)独身は本当に存在すると思いますか?

 

この質問に対して皆さんはこう答えるでしょう。

 

 

 

知らんがな(先ほどより強いエコー)

 

 

 居ても不思議ではないから居ないと断言できないけど、見たことも無いからはっきり居るとも言えないはずです。

明確な答えを出せるのはオハイオ州のすべての人間を知り尽くした人のみ、まぁ日本には居ないんじゃないですかね。

 

ならば僕らが出せる正しい答えはこうなります。

 

 

「居るかもしれないし、居ないかもしれない」

 

 

これは有名なシュレディンガーの猫と似たような考え方ですね。説明めんどもとい皆さんの学習行動を阻害してはいけないのでここでは詳しく書きません。要はマイケルは居ると居ないを両立した存在なのです。

 

マイケルを幽霊に直すとお化けは存在しているし、存在しない不可思議なものになります。

酸素のごとく当たり前に浮いているかもしれないし、その存在は全くのデタラメかもしれない、もしかしたらその両方の性質を同時に持っている可能性もある。神秘的ですね。人の研究が尽きないのも分かりま

 

 

 

 

 

違うこれは求めていた答えじゃねえ!

 

 

居ると居ない両立だとかそんなの難しくてよくわかんないし結論としてはあまりにお粗末じゃんクソ記事乙こんなの書いてる暇あったら微分されてろ素数に挟まれる癖に生意気だぞこの高度合成数がと思ったのならご安心を、続きはあります。

 

 

考え直したいのはそもそも「居る」ってなんでしょうか。なんだかんだと聞かれたら答えてあげるが世の情け。

 

「居る」と言うのは辞書的には存在する、住んでいる、その場に留まるなんて意味です。

でも「存在する」ってなんだぜ?「存在する」って言うのはその場に「居る」ことです。では「居る」は?「存在する」ことです。無限ループって怖くね?

 

ならば「居る」や「存在する」を新しく定義付けしてあげましょう。辞書は自分で創り出すもの。かのナポレオンもいろんな単語が抜けてる都合のいい辞書を持っているそうです。

皆さんはどのタイミングでものに対して「居る」「存在する」と認識しますか?それは五感や直感など、自分の脳が何かしらの信号を受け取った時でしょう。直接見たものはもちろん、嗅いだもの、触ったもの、聞いたもの、気配がしたものなど様々な方法で何かの存在を「居る」と判断する訳です。

 

逆に言えば「居る」状態になるには「五感などから脳が信号を得て、存在を認識する必要がある」と言うことになります。

そして反対の「居ない」は「脳が一切の信号を得られず、認識していない状態」ですね。定義付け完了やったね。

 

お待たせしました最後の結論タイムです。

ここでは「居る」というのは「脳が確認した時」と定義付けしたので冒頭で「見たことがある」と言っていた人以外にとって

 

「幽霊もマイケルもボブも存在しない」

 

ということになります。ファンタジー好きには申し訳ないですが、怖がりさんやインテリ眼鏡に優しい結論となって満足です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう言えばこの記事を読んで12秒ほどは後ろを振り向かないでくださいね。

 

 

 

 

 

認識してしまったらそれは存在してしまいますから…

【お笑いで落語とピン芸人どちらの笑いが本物か?】

初めましての方は初めまして、そうでない方も初めまして。トゥエルブという高度合成数です。

今回、落語家である歌丸さんがピン芸人を指摘したと聞いて下らない自分の意見をダラダラ書き連ねました。途中から論点脱線したりしました。

するとびっくり2000文字オーバー。ツイッターでは足らない、メモ帳スクショしてもまだ足りなぁいとこのためだけにブログ開設。最初で最後の記事かもしれないですがどうぞよろしくお願いします。

ここでは芸人さんの芸名などは敬称略とさせていただきます。

 

 

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ツイッターで流れてきた例の文がこちら。どこのサイトともしれないスクショで申し訳ないですが話題にするのであれば必要なので...

 

 

 

早速迅速結論から言うと落語や漫才とピン芸人や大道芸を比べるのは比較対象が全く違う的外れな行為です。

どちらが本物の芸人かなど知ったこっちゃない。

消防車と宇宙のどちらがよりパイナップルかを競うようなもの、意味不明です。

 

 

自分の意見だと宇宙の方がパイナップルかな

 

 

…もう少し分かりやすい例えをしましょう。

落語は昇格戦を勝ち上がったプロ棋士です。対してピン芸人はじゃんけん大会優勝した某アイドルグループの誰かさんですね。

歌丸さんの主張はこれを比較してるのとほぼ同じ、どちらが実力で上がってきたかは明白です。同じ勝利ですが価値が違います。

落語というのは文学や歴史を学んで完成する素晴らしい芸風文化です。

言語の研究や人の観察を極めた成果を誰でもできるじゃんけんを同じにされたらそりゃ怒るでしょ。

 

ただじゃんけん大会「優勝」は誰でも出来ないですよね?ただ1人です。

今テレビに出ているサンシャイン池崎は数いる叫ぶだけ芸人でトップを勝ち取っているのは事実、これを否定するのもまた滑稽なのです。

あなたは叫ぶだけでお笑い大会を確実に優勝できますか?もちろんサンシャイン池崎は叫ぶだけではなく顔芸などを合わせ、サンシャイン斎藤と巡り会えたことが大きいのですが、それを含めて勝利を実現したのは「誰でも」ではなく「サンシャイン池崎」です。

需要がある限り勝者は必ず存在しますがそれを決めるのは自分ではないのです。そして勝ち取ったのは自分なのです。

人脈と運命力、流行りその他諸々はそれも実力といえばその通り。舞台に立ち笑いを取る権利はあるはずです。

 

これは実力が云々というお話。落語とピン芸人では要求されるステータスが違いますということ。

歌丸さんのいう「違う」はこれのことでしょうね。実力をもっと見てくれと。そして自分は別のものを見ていないと。

 

 

話題変えましょう


今回話題に挙げられていたアキラ100%はスリルを味わう芸風です。

が、となると同じくスリルを味わい楽しむ芸風のジェットコースターも芸人もとい芸機械となりますね?

しかもジェットコースターさん大人気だし落語家なんかより面白いのではないか、これはどうでしょうか?


落語は文学の結晶ですがジェットコースターさんは物理学の叡智。ここでは互角、引き分けです。

日本語の面白さや動きのわびさびわさびでの笑いをとる落語とスピード感の快感があるジェットコースターさんを比較してもどちらが勝るとは言いにくい。

では人気知名度動員数でみると?恐らくジェットコースターさんが勝つでしょう。数値化した訳ではありませんが圧勝かもしれませんね。

落語が勝てるのはコスト面や省スペースな点でしょうか?これは弱い。

ならやっぱりジェットコースター様が凄いじゃないか、一発芸も捨てたもんじゃないな!


この二者で着眼したい点は感情的か、否かです。よく理屈の左脳と感情の右脳と言われますがその違いが大きいと考えています。

人間、ロジック論理的な面白さより感情を爆発させて笑った方が楽しいと感じることが多いと思います。自分もそうです。

近いおもしろレベルなのに休日にどちらか選ぶ場合は感情的な笑いを取るジェットコースター様が指名されるのも頷けます。

しかもジェットコースター様は高所恐怖症や酔いやすいなどがなければ誰でも楽しめるでしょう。

対して落語は聞く相手が日本語や一般常識をある程度会得してなおかつ言葉の面白さを理解できる人間でないと効果を発揮しないという制約の存在も大きく欠点。勝てる通りがありません。

 

ただジェットコースターは何度も乗って入れば飽きますし、同じもので広がりを持たせるのは限界があります。

しかし落語は日本語や文化の数だけパターンを生み出し、演じ手によって同じ演目も全く違うものになります。

ここでの最適例はガムとお米で比較した感じですかね。最初美味しいか噛めば噛むほど味が出るか。

 

そうすると謎の動きとノリやすいリズム+言葉や行為を研究した共感しやすいあるあるネタの融合であるテツandトモは最強なのでは… 歌ネタは万人ウケしやすく良いですね。

サイレント映画の伝説チャップリンも他人の行動をよく観察した細かな動きと社会風刺をコミカルにすることで言葉がわからなくても大丈夫な芸を披露します。もはや芸術。


やや話が逸れましたがここでは二つの笑いの質の違い、そしてそれが好まれる傾向についてでした。この両方のバランスで芸風や好みは大きく変わります。

歌丸さんはこれの傾向を見て自分たちへの関心の敗北を憂いた、あるいは嫉妬したのかもしれません。

 

 

ですがここまでくれば結論は出ますね。

そもそも本質が別のものを同じステージに上げるのが間違っているのです。

歌丸さんは裸でお盆が芸じゃないとのことですが、アサルトライフルを持ちながら素手で戦うボクシングは戦争ではないと指摘したようなもの。比較というのは同じ土俵に立たねば成り立ちません。戦争ゲームのPUBGではアサルトライフルとボクシングが同じ土俵に立ってますがそれはまた別のお話。

比較をしたいのならどちらがより知名度が高いか、どちらがより実力で生き残れるか、どちらがよりパイナップルか等同じステータスを比べる必要があります。この例の3つは分かってもどちらがより本物か、面白いかどうかだけを比較することは難しいでしょう。

 

もっと言えば、左脳右脳の話も出しましたが今回二者の両方で笑うことは脳にとって大事なことなのです。

笑える一発芸、趣きの深い落語、どちらも理解し、面白いと感じ、笑うことで人生は多少良くなります。

さぁどっちの要素も過不足なく摂取できる吉本新喜劇を観よう!

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元気をくれる芸人さんや落語家さんに多大なる敬意を、クソみたいな長文をここまで読んでくださった方々に大いなる感謝を